お年寄りは「身体」も「精神」も同じように老いていくものだ思ってました。
それが93歳で亡くなった祖母が一度だけ言った言葉で、そうでないことを知りました。
祖母の言葉
「90も過ぎたら身体は段々動かなくなってくる。耳も遠くなるしな。
もう逝きたいんやけど・・・、
気持ちはな、90過ぎてるなんて本当は思えないんやで・・・」
30代だった私はこの言葉の意味があまりわかりませんでした。
しかし、私も還暦を迎えましたが、自分が高齢者とは全く思えないのです。
目は老眼ですし、耳も少し聞こえにくい(遺伝かな?)、
孫と公園で遊ぶと筋肉痛で膝も痛む、
しかし、気持ちというか、心まで老いていないことに気がつきました。
今は祖母の言葉の意味が理解できます。
在宅介護で絶対に必要なこと
祖母は認知症にはなりませんでしたが、
90歳過ぎた頃から一人で立つことが出来なくなりました。
そして、家族の協力のもと最期の時まで自宅で介護出来ました。
①介護人の確保
祖母は自宅で、叔母3人、その娘3人、そしてヘルパーさん常時2人、
お風呂の時は3人で介護にあたりました。
これだけの人数がいても在宅介護は大変でした。
在宅介護では介護する人を1人でも多く確保することが大事です。
夫婦二人だけや、まして老老介護は負担が大き過ぎます。
私は母を少しでも自宅で介護すると決めていますが、
介護人は私、ダンナ、私の妹、ヘルパーさんになると思います。
ダンナに母の下の世話は出来ないと思われますし、母も嫌だと思います。
妹は仕事をしているのでフルでの協力は無理。
母を最期まで看れるかどうかわかりませんので、
無理と思ったらホームに入れる事も視野に入れています。
このことは母が元気な時から話をしています。
②お医者さまの往診
往診してくれるお医者さまが必要です。
病気の治療や投薬のためでもありますが、
主治医がいない場合に、自宅で亡くなりますと最悪警察が来ることになります。
こういう事態にならないよう自宅に往診して頂ける主治医が必要です。
③救急車は呼ばない
救急車を呼んでしまいますと延命治療が開始されてしまいます。
静かな最期を望んでいる場合、意思に反してしまいます。
最期の時
祖母は一人息子を戦争で亡くしてましたが、
一切、愚痴を言わずに静かに生涯を終えました。
戦後の暮らしも大変だったようですが、
最期は皆に看取られて幸せだった、と思いたいです。
老いは誰にも訪れます
アラフィフあたりになれば、親の事もありますが、
自分の将来の事も含めて少しずつ考えておく必要があると思います。
老いをどう生きるか!逆に生きる意味を考えることになります。
少し話の方向がそれますが・・・
今、高齢者の運転で痛ましい事故を毎日のようにニュースで聞きます。
被害に遭われた方々は本当にお辛い毎日を過ごされておられることと思います。
高齢になってもまだ気持ちや心が若いことはいいことです。
ただ、身体は正直です。
事故につながるような危険なことは、
身体が老いていることを考えて行動して頂きたいと切に願います。