ちえママのミニマル的シニアライフ

60代の暮らし・老後・年金・お金やらゆる~く語ってますます。

伯父が見たセレベス島の空


セレベス島ってどこやねん、って思いますよね。

前置きがちょっと長いのですが、少しお付き合いくださいね。

 

母の兄、私からみたら伯父さんがね、

第二次世界大戦に従軍し、外地で戦死したんです。

もちろん、私は生まれてませんからね、誤解してはダメですよ。

だから会ったことはありません。

 

ただ、伯父のお墓はご先祖のお墓の近くにあり、

お墓参りのたびに伯父はジャワ島で戦死したのだと聞かされていました。

 

しかし、それがですよ、なんとなんと誤ってたんです。

実際には「セレベス島」で戦死していました。

 

このことを知ったきっかけ?

それはちょっと話がそれるのですが

家系図を作りたいという思いからでなんです。

 

今は亡き父が私が子供の頃、

曽祖父が武士だったという話をしてくれたことがあります。

その時に曽祖父や藩の名前も聞いていたのですが、

当時は全く興味がなく、すっかれ忘れてしまい、

今や聞ける人は皆、鬼籍に入っています。

 

そんな時、今年の3月11日から本籍地以外からでも、

市区町村窓口で戸籍証明書を請求できることになったことを知りました。

そうだ、戸籍証明書で祖先ほ辿ればわかるのでは?(*^^)v と思ったわけです。

 

父母から順に辿っていくので、時間はめちゃめちゃかかります( ;∀;)

窓口の担当者に目的を聞かれますので、

正直に「家系図を作るために先祖の戸籍を辿りたいのです」と初めに言っておくと、

とても親切に対応していただけました。

 

ちなみに、請求が出来るのは「直系尊属(父母・祖父母)」「直系卑属(子・孫)」です。

代理人や後見人などの法定代理人も請求は出来ません。

 

そして、その戸籍の中にですよ

なんと伯父の死亡日や亡くなった場所が記載されていたのです。

伯父の死亡日は昭和20年5月。。。終戦のたった3か月前でした。。。😢

古い戸籍は手書きで漢字も旧体なので読むのはとても苦労しました。

 

※戸籍証明書の伯父の部分

 

ジャワ島は、インドネシアの中心的な島。

日本軍が占領していた地域の一つ。

一方、セレベス島は、現在のスラウェシ島であり、ジャワ島の東に位置します。

私自身、セレベス島という島の名前を知ったのは、

伯父の本当の戦死の地だと知った時でした。

 

なぜ、ジャワ島とセレベス島が混同されていたのか・・・私には分からない。

もう、教えてくれる人もいない。

 

セレベス島について調べてました。

そこは美しい自然に恵まれた島であると同時に、

第二次世界大戦中には激しい戦闘が行われた場所であったことを知りました。

 

日本軍と連合軍が激突し、多くの兵士が命を落とした。

しかし、酷かったのは負傷よりもマラリアという病気と飢えだったとの書物もあり、

歴史に疎い私は今はよくわかりません。

調べれば調べるほど戦争の酷さを知り辛くなります。

伯父もまた、その一人だったのだと思うと

目を背けるわけにはいかいと思う気持ちの方が強く。

 

伯父が戦死した場所がジャワ島であろうとセレベス島であろうと、

戦争の犠牲者であるという事実に変わりはない。

しかし、私は会ったことはないけれど19歳という若さで全く知らない外国の地、

それも戦地にいった伯父がいたところに立ってみたい、

そして、伯父も見たであろう、セレベス島の空を私も見たいと思っていました。

なのでとても重要なのです。

 

セレベス島という名前を知ることで、

伯父の人生、そして彼が命を落とした戦争について、

より深く考えるようになりました。

 

伯父の戦死から長い年月が経ち、伯父を知る祖父母や兄弟姉妹もいなくなる。

その前にちゃんと真実を残してあげたいと思っています。

 

セレベス島という名前は、私にとって、戦争の悲惨さと平和の尊さを改めて認識させてくれました。

もう少し、調べてみようと思っています。