ちえママのミニマル的シニアライフ

60代の暮らし・老後・年金・お金やらゆる~く語ってますます。

人の強さと優しさ


今日は特養にいる母に会ってきた。
94歳。
1年半前、危ないと言われて看取り体制になったけど、そこからだんだん元気になった。
車いすではあるけど、自分でご飯を食べて、私の話にも反応してくれる。
人間って、思ってる以上に強い笑
母を見てると、そう思う。

特養に入らなかったら、あのとき家族だけではとうてい持たなかったと思う。
夜も昼も、誰かがそばについてくれて、いろんなケアをしてくれる。
当たり前みたいに思いそうになるけど、本当はすごいことだ。
スタッフさんに感謝しかない。

 

今日、母がふいに私に言った。
「お祖母ちゃん、どうしてる?誰といるん?寂しくしてない?」

母の母。私の祖母。
もう何十年も前に亡くなっているのに、
母の中ではまだ心配する対象としてちゃんといるんだなと思った。

今まで認知症の症状は無かったので、

その一言が本当はショックだったし、

なんとも言えない寂しさもあった。


でも、不思議と笑いも出てきた。
94歳が自分の母親を心配してる。
なんだか順番がぐちゃぐちゃになってきて、

もうどっちが子どもなのか分からない。

私は「ちゃんと聞いとくね。たぶん元気にしてるよ。」
そう答えたら、母は安心したみたいにうなずいた。

亡くなったことを言う必要はない気がした。
たぶん、言ってもすぐ忘れる。
だったら心配が少ない方がいい。

 

母の時間と私の時間は、少しづつずれてきていると思った。
そのずれの中に母の大事な記憶があるなら、私は無理に正さなくていいと思う。

帰り、特養の廊下を歩きながら、
母を私たち家族を支えてくれてるスタッフさんに、

会釈しながら心から「ありがとう」と思った。

きっとこの先も、順番は混ざり続ける。
それでも母は母で、私は子どもだ。

 

【あとがき】

「人は、もう会えない人を、心の中でずっと生かし続けるもの。」

それは、記憶の遠い岸辺に、そっと咲く花のように。

名前を呼び、声を思い出し、いつかの笑顔に手を伸ばす。

時が過ぎても、心だけは置いていけない場所がある。

そして、たとえそれが叶わないことだとしても、
「どうしている?」と問いかけるやさしさを失わない人のことを、
私は愛おしいと思う。