もう11月、そろそろ年賀状の準備をしよう・・・と毎年思いながら
年末の慌ただしい中で年賀状を書くはめになっています。
学生の頃、夏休みの宿題を休みが終わろうとしているくらいから、
やり始めていた性格はいまだに健在です。
あれ、健在ってこんな風に使っていいのかな😅
話を戻しまして、
11月にはほぼ毎年"喪中はがき"が届くようになりました。
私の周りでは家族葬が主流となっているので、訃報はほぼ来なくなりました。
なので、この喪中はがきで亡くなられたことを知ることになります。
若い頃はそれほど感じませんでしたが、今はかなり寂しく感じます。
そして、このはがきは自分と相手との人間関係を如実に表わしてくれます。
年賀状のやりとりだけの人の場合
いつか会えるという気持ちはあるので、その人のお身内、
特に配偶者の方が亡くなられた時はかける言葉が見当たらず、
ただただ哀しい思いになりました。
ご本人の場合
その時は奥様から頂きました。
かなりショックでした。
でも、わざわざ知らせて頂けとことに感謝し、お供えをお送りしたことを覚えています。
親戚の場合
これがなかなか複雑な気持ちになります。
父の姉、私から見たら伯母が亡くなられたことを喪中はがきで知った時は本当にショックでした。
葬儀に呼んでもらえなかった・・・ということです。
伯母が介護施設に入所されてから私は面会に行ったことはありませんでした。
伯母の娘(いとこ)ともほとんど話をしない状態になっていました。
喧嘩していたわけではなく、父が亡くなった後、疎遠になってしまったのです。
そんな状態でしたから、当然の結果だったかもしれません。
反対の立場であれば、私も同じだったかもしれないとも思いました。
もう、この親戚の方々との縁が切れたと感じた瞬間でした。
シンプルに考えるようにしていますが辛いです😢
こうして世代が代わり、娘達が付き合う親戚は別の人々になるのだな、と思います。
そして年賀状を出すことも少なくなってきている現代。
「年賀状じまい」される方が増えてきました。ただまだ3割ほどだそうですが。
私も終活の一環として「年賀状じまい」も考えましたが、
年賀状は近況報告でもあるのでまだ続けることにしました。
でも、知人で何人かから頂きました。
やはり、それきりの関係になってしまい、近況もわからないままです。
こうなると喪中はがきも来ないので、やはり縁は切れますね。
シニアになると余計な人間関係で悩むことはやめましょう、という風潮もあります。
親しい人が数人、いや、1人でもいればいいと思えばいいのかもしれない。
11月はそんなことをかんがえさせられる大事に月となっています。