ちえママのミニマル的シニアライフ

60代の暮らし・老後・年金・お金やらゆる~く語ってますます。

看取りケアの真実


特養にお世話になっている母(94才)が今年の1月に看取りケアになりました。

病院の医師から「今年夏までもつかな・・・」と言われ

私は「夏か・・・桜は今年が最期になるのか・・・」と思いました。

 

※その時の記事はこちらに書きました。

www.freelife-chiemama.com

 

検査後も食事も水分もほとんど摂れない日々が続き「このままでは1月末まで持たないかも」と特養の看護師さんの言葉。

 

私は残された時間は本当に無いと覚悟し、母の状況を叔母・従姉・姪・孫に連絡しました。

皆、これは大変と母に会いに来てくれました。

私と妹は時間差で毎日通いました。

 

すると、なんということでしょう~♪

人間の力というのは不思議で、母の容態がどんどん良くなっていったのです。

 

※特養にて 水分も摂れなかった母が美味しそうにお茶を自分で飲んでいます☺

 

ただ、高齢かつ胃がんの末期でもありますから、元気になるわけではなく、

日によっては寝たきりだったり、自分で車いすに座るなど、

状態は急に悪くなるわけではなく、徐々に弱っていく・・・という感じ。

 

母が徐々に弱っていくところを見ていくことは、本当のところかなり辛いものです。

天寿を全うできるのは幸せだと本当に思っています。

そして、最期に寂しいという想いを母に持って欲しくないという気持ちもあります。

 

そんな日々を送っている中、私は体調を崩してしまいました。

めまいと吐き気で起き上がることが出来なくなってしまったのです。

病院に行くと耳の病気でしたが、ストレスからでもなるらしく、

私は"ああ、身体が先にサインを出したんだな"って思いました。

 

在宅介護をされている方もおられる中、母の介護を日々しているわけでもないのに、なんと情けないと思いました。

母の最期がいつくるかわからない、明日かも知れないと思うと、好きな映画も温泉も旅行も行けない、私自身何も楽しめなくなっていました。

 

いつ・・・いつ・・・いつ・・・

あれ?私、待っているの?母のその日を?

 

自分でも驚きました。

こんな気持ちを母に向けていた自分。

なぜ、こんな思いになったのか。

「看取り」・・・この言葉に私は縛られていたと気が付きました。

 

人は必ず、その日が来ます。

でも、老いていてもその日を考えながら生きるわけではないですよね。

母のその日を考えながら過ごすことを止めました。

母と会う日は思い切り笑い。

私の楽しみの時間もちゃんと持つことにしました。

私も私の人生を楽しませてあげなくちゃ。

 

オットに「連休、温泉に行く?」って聞いたら

「あれ、散財していいん?節約預金するんちゃうん?」(>_<)忘れてた

 

世の中キビシイ( ;∀;)